最高裁判所第二小法廷 昭和42年(オ)802号 判決 1967年12月08日
上告人 三浦やす子(仮名)
被上告人 大森酉蔵(仮名)
主文
本件上告を棄却する。
上告費用は上告人の負担とする。
理由
上告人の上告理由について
原判決(その引用する第一審判決を含む。)がその挙示の証拠関係により適法に認定した事実関係、とくに上告人と被上告人とは昭和二三年四、五月ごろ以降全くの別居状態にあり、事実上夫婦生活を営んでいないこと、右両名は昭和三七年三月三〇日長野家庭裁判所諏訪支部の家事調停において、上告人が昭和二四年六月一一日付の届出による協議離婚を認めることを前提にして、上告人が被上告人から右離婚にもとづく慰藉料金三万円の支払を受ける旨の合意をしたこと等の事実関係のもとにおいて、上告人が右家事調停の際に、右協議離婚を追認したとした原判決の認定判断は、これを正当として是認することができる。論旨は、ひつきよう、原審の専権に属する事実の認定を非難するものにすぎず、採用することができない。
よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 奥野健一 裁判官 草鹿浅之介 裁判官 城戸芳彦 裁判官 石田和外 裁判官 色川幸太郎)
参考 一審(長野地裁諏訪支部 昭四一・七・一二判決)
原告 三浦やす子(仮名)
被告 大森酉蔵(仮名)
主文
原告の請求を棄却する。
当審並びに差戻し前の控訴審における訴訟費用は全部原告の負担とする。
事実
第一、当事者双方の申立
一、原告の申立
「昭和二四年六月一一日付諏訪市長受付の届出による原被告間の協議離婚は無効であることを確認する。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求める。
二、被告の申立
主文同旨の判決を求める。
第二、当事者双方の主張
一、原告の請求の原因
(一) 原告は、被告と昭和二二年一〇月二二日結婚式を挙げ、昭和二三年一〇月二一日婚姻の届出をした。
(二) しかるに、その後被告は、情婦の許に身を寄せて原告と別居していたが、昭和二四年六月一一日諏訪市長宛に、原告と協議離婚する旨の届出をした。
(三) しかし、右の協議離婚届出は、被告が原告の知らない間に勝手に原告の署名押印を偽造してなしたものであつて、原告には被告と離婚する意思は全くないから無効のものである。
(四) よつて、原告は右の協議離婚が無効であることの確認を求める。
二、被告の答弁
(一) 原告の請求原因(一)の事実は認める。
(二) 同(二)の事実中、被告が原告主張の日に、原・被告間の協議離婚届出をしたことは認めるが、その余の事実は争う。
(三) 同(三)の事実は争う。原告は被告と離婚することに合意し、離婚届の手続事務一切を被告に一任したので、被告も右手続を実兄の訴外山本恒夫に委任して協議離婚届出をしたものであるから、原・被告間の協議離婚は有効である。
三、被告の主張
原告は昭和三七年三月三〇日長野家庭裁判所諏訪支部において成立した慰藉料請求家事調停(同庁昭和三六年(家イ)第七三号事件)において、右の協議離婚届出を追認し、離婚に基く慰藉料として、被告から金三万円の支払を受けたものである。
四、被告主張に対する原告の答弁
原告が、長野家庭裁判所諏訪支部に慰藉料請求家事調停の申立をし、これが、被告主張の日に成立したこと及び原告が右調停成立の結果、被告から金三万円の支払を受けたことは認める。しかし、原告は協議離婚届出を追認したことはない。原告は当時、被告から遺棄され、極度に貧困であつたため被告に生活費を請求したものである。
第三、証拠関係(編略)
理由
一、公文書であるから真正に成立したものと推定すべき甲第二ないし第四号証及び原被告各本人尋問の結果によれば、原被告は昭和二二年一〇月結婚式を挙げ、そして戸籍には昭和二三年一〇月二一日付で岡谷市長宛に婚姻の届出をし、昭和二四年六月一一日付で諏訪市長宛に協議離婚の届出をした旨記載されていることが認められる。
二、しかして、前掲甲第二ないし第四号証、並びに証人関根政市の証言の一部及び原被告各本人尋問の結果の一部(いずれも後記措信しない部分を除く)によれば、原被告は挙式後、一時仲人である訴外関根政市の管理する岡谷市○○○○○番地所在の借家の一室に同居したが、昭和二三年一月頃から原告の実母の面倒をみるということで被告も一旦は同市○○○○町内所在の原告の実家にともに移り、爾後同所で夫婦生活を続けていたが、兎角円満を欠き勝ちであつたこと、被告は昭和二三年三、四月頃、米五升が紛失した折りその疑をかけられたりしたため、単身右の実家を飛び出し、行くあてもないので再び関根の管理する前記家屋に赴き、同家に間借していた顔見知りの訴外大森きんの借間の一室に身を寄せ、爾来原告の許えは帰らず、同所に滞在しているうち、同女とねんごろな仲となり同棲生活に入ったこと、そこで、被告は同年四、五月頃原告との関係を清算するため、原告とその実家で、関根及び原告の実母立会のうえ、話し合つた結果、原被告間に内縁関係を解消する旨の合意が成立し、同時に被告は原告に慰藉料として金五、〇〇〇円を三回に分割して支払うこと、当時原告が懐胎していた子供は出生後被告が引取つて養育することなどの約束がなされてここに原被告の関係は終局したこと。その後、被告は原告に右金五、〇〇〇円を支払い、また同年一〇月一二日原告が男子を出生するや、翌一三日これを大森きんとの同棲先に引き取つたこと。ところが、その後被告は子供を自己の子として戸籍に入れるべく出生届をしようとしたが、前示事情のため受理されなかつたこと。そこでこれが受理されるためには、原告との婚姻届をするほかはないと考え、原告から「三浦」の印章をかりうけ、同月二一日岡谷市長宛に原被告の婚姻届をし、同日嫡出子として子供の出生届を了したこと。その後も被告は戸籍面をそのままに放置して従前どおり大森きんと前記の間借先で同棲生活を続けていたが、そのうち、大森きんが子供を出産するに及んで今度はこの子供を自己と大森きんとの間の子供として戸籍に入れる必要にせまられて困惑し、ここに原告との婚姻を解消し、大森きんと婚姻するため、実兄の訴外山本恒夫に委任して、原告の知らないうちに原告と被告とが協議離婚する旨の届を作成し、昭和二四年六月一一日付で諏訪市長に宛て提出したことが認められ、証人関根政市の証言及び原被告各本人尋問の結果中右認定に反する部分は措信できず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。以上の認定事実によれば、原告と被告との本件協議離婚届は原告の意思に基づかないものであることが明らかであるから無効というべきである。
三、そこで次に、原告が右の無効な協議離婚を追認したかどうかにつき考察するに、当裁判所が真正に成立したものと認める甲第五号証、公文書であるから真正に成立したものと推定すべき乙第一号証及び原被告各本人尋問の結果(但し、原告本人尋問の結果についてはその一部)によれば、原告は前示出産児を被告に渡して以来被告との交渉を絶したが、被告との間がうまくいかなかつたことに精神的打撃を受け、また出産以来健康にも恵まれず生活に困窮し、昭和三五年頃に至り苦情相談のため、岡谷市役所の苦情相談所を訪ねた際、昭和二四年六月一一日付で諏訪市長宛に原被告間の協議離婚届がなされていることを知り、その折係員から家事調停制度の存在等を教えられたこと、そこでその頃、被告を相手方として長野家庭裁判所諏訪支部に被告が勝手に原告との離婚届をなした旨を述べて慰藉料請求家事調停の申立をし、これが不調に終るや、昭和三六年に再び被告を相手方として同庁に同趣旨の家事調停の申立(同庁昭和三六年(家イ)第七三号事件)をし、慰藉料として金五〇万円の支払を求めたこと、右調停において原告は昭和二四年六月の協議離婚手続を認めることにし、他方被告も、昭和二三年四、五月頃すでに原告との内縁関係を解消渭し、その時の約束に基づいて原告に対し慰藉料として金五、〇〇〇円を支払つているので、今更原告の要求に応じる必要がないとしながらも、ここでいくらかの金員を支払うことによつて今後原告との関係をすべて解消できるならこれも止むを得ないと考えるに至り、右調停に応ずることにしたので、昭和三七年三月三〇日同庁において原被告間に、原告が昭和二四年六月の協議離婚を認めたことを前提に、原告は被告から離婚に基づく慰藉料として金三万円の支払を受ける旨の調停が成立したこと、そして、その後原告は被告から右金三万円の支払を受けたことが認められ、原告本人尋問の結果中右認定に反する部分は措信できず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。右認定事実によれば、原告は右家事調停において原被告間の昭和二四年六月一一日付諏訪市長宛の協議離婚届出を追認したことが明らかである。してみれば、本件離婚は原告の追認により有効となつたものと解すべく、本訴においてこれが無効を主張する原告の請求は認容し難いものというべきである。
四、してみれば、原告の本訴請求は理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条第九六条を適用して、主文のとおり判決する。